有明海の船霊様
T.房総漁業の歴史 [紀州の漁民によって漁場が開拓]
近世初期に,漁業が産業となった。
海産物:食料
商品作物栽培用の肥料
大阪湾周辺の漁民たちが,各地に移り住み漁場を開発していった。
房総半島には,
近世初期から中期にかけて,
干鰯(ほしか)生産のために最新式の漁法を携え
大阪湾の周辺の漁民たちによって漁場が開発され,
全国有数の漁業地帯になった。
1) 大消費地江戸に鮮魚を送る。
摂津(大阪)漁民の移住によって,佃島・深川など江戸湾沿岸にの漁師町が形成。
2) 機内を中心に,魚肥として干鰯を送る。
紀州漁民によって,イワシ漁と干鰯生産が行われた。
近世初期に日常衣料となった綿の栽培は,関西・東海に限られていたので,干鰯の需要が高まった。
摂津国西宮・紀伊国有田郡湯浅村・広村出身者が多数を占める。
1703年 房総沖の元禄地震による大津波で壊滅的な打撃を受け,関西漁民は撤退。
その後出漁漁民から定住した漁民中心の漁業へと変化。
漁具の大型化 九十九里の地引き網は漁業の第一!
関西からの技術の移入[漁法・カツオ節・醤油製造]
漁法
1555年 九十九里浜
紀州出身の西宮久助が,地引き網漁法を伝えた。
1616年 川津村矢野村(勝浦)
紀州加太浦出身の大甫(おおうら)七十郎が,八手網(はちだあみ)を伝えた。
1656年 銚子市外川
紀州有田郡広村(広川町)出身の崎山治郎右衛門が,イワシマカセ網漁法を伝えた。
1781〜1789年 忽戸村(こつとむら)
紀州日高郡印南浦(印南町)出身の土佐与市が,燻乾法によるカツオ節製造法を伝えた。
1781〜1789年 萩生村(富津市)
紀州有田郡栖原村(湯浅町)出身の北村角兵衛が,タイ桂網法を伝えた。
醤油の醸造
1561年 野田で開始
1616年 銚子
摂津西宮出身の江戸店持商人眞宜(さなぎ)九郎右衛門の教示に基づき,
飯沼村の田中玄蕃が溜(たまり)醤油を醸造。
1645年 銚子荒野村
紀州有田郡広村出身の浜口家が,醤油醸造を開始。
銚子の醤油醸造の基礎を形成。
1754年 銚子
広村出身者11名が組合を作り,醤油醸造を開始。
醸造高は,6723石になり,関西からの「下り物」を凌駕した。
かつお節
1674年 紀州日高郡印南浦出身のカツオ漁師甚太郎によって,
土佐の宇佐浦で創始された燻乾法によるカツオ節製造が始まった。
1758年 印南浦出身の与市(膳五郎)によって改良。現在の燻乾法が完成。
房総のカツオ節は,「房熊」として珍重された。
太平洋の各地にカツオ釣漁村が形成。
U.船乗りの生活:房総半島[和田]
参考文献:千葉県の歴史別編民俗2(平成14年3月)
紀州出身の漁師(1916年生まれ)
18世紀に紀州から移り住んできた。
安房郡和田町和田区
祈った場所
清澄山
熊野神社(和田を代表する神社)
エビス社
竜宮社(今はない。潮祭:傘を持って踊った)
金比羅社
弁天社
V.漁師の知恵 [風読みと山タテ]
(1)風を読む技術
ナレ 北よりの風 [カツオ漁に適している]
ニシ 西風 [ブリ・イカ]
キタ 北東風 [ブリ・イカ]
コチ 東風 [ブリ・イカ]
イナサ 南東風 [ブリ・イカ]
キタからコチに変化し,イナサに転じると時化(しけ)になる。
(2)山タテ
陸上の目標物から,海上の座標点を決めること。
「山を知らないと魚が釣れぬ」
「山のタテ方が,漁師の財産」
網を使わない釣師の場合は,ポイントが重要。
優秀な漁師は,10cm以内の誤差でポイントを探す。
アテになる山は,以下のとおり。
清澄山・千現山・富山・丸山・飯盛山・御殿山
上総内陸部と海の関係 [養老川から江戸へ]
大多喜町三条
12戸。君塚一族が分家を出して成立。
本家は,兵庫家。「おもて」と称される。
法華宗の寺と八幡宮がある。
15世紀の半ば,君塚出羽守の開発によって成立。
以下のことがわかっている。
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