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日本思想史 : 無常の風

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  • 上総国分寺:七重塔の礎石 上総国分寺:七重塔の礎石

    塔の高さは,65mを超えていたといわれています。
    航行する船からは,高台の上にそびえて見えたことでしょう。
    平将門の乱で焼亡したと伝えられています。
     
    律令国家が成立した奈良時代に建立。
    この礎石は,鋸山から運ばれてきました。

    すべては,千年の昔の話。
    礎石だけが,雨風に耐えながら今に残っています。

    T.概要 [日本思想史における「無常」]

    (a)仏教の無常観について (b)文学作品における無常観(感)について  ・『閑吟集』『平家物語』の「無常」 ・「鐘」「花」にみる無常  ・中世思想としての無常/「いろは歌」 (c)無常観の通時的観察  ・『万葉集』における「無常」  ・平安王朝文学における「無常」  ・中世文学における「無常」 【基本参考文献】
  • 『無常』唐木順三 筑摩叢書39 1965/4
  • 『日本人の無常観』本田義憲 日本放送出版協会 1968/1
  • 『無常の文学』西田正好 塙新書48 1975/9
  • 『無常感の文学』小林智昭 弘文堂 1965/6
  • 『閑吟集』北川忠彦 新潮日本古典集成 1982/9
  • 『日本文学における美の構造』「無常」 湯浅清 雄山閣出版 1976/5
  • 『信の構造』「和讃−−その源流−−」吉本隆明 春秋社 1983・12

    U 無常の基本概念 [「常住」の反対語]

    仏教において,[無常]とは?  ・諸行即ち世間一切のもの,万象のことごとくは,   生滅してとどまることなく移り変わる。  ・永遠に存在し続けることのできるものは,何もない。   →10世紀王朝文学の基本理念    例:『三宝絵』(雪山童子),『源氏物語』など   →日本中世文学の基本概念。    例:『方丈記』,『平家物語』など。  仏教の三法印:「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」 流転の実相を認識することが,信仰の核を形成する。   例:河の速やかに流れて往いて返らざるが如く,人命も是の如く,逝く者は還らず。(『発句経』)    日本中世の美:無常を観じ,静寂のなかで澄みきった美を見いだす心境。 ブッダ(釈迦)の教え  「五蘊(あらゆるもの)は無常であり,したがって苦であり,無我である」 例話『長老尼ケーマーの物語』=無常の世界の実相   マッダ国のサーガラの王家に,ケーマーは生まれた。   彼女の美貌は天下に並ぶ者とてなく,その肌は金色に輝いていた。   やがて,ケーマーは,ビムビサーラ王の第一妃になった。   ある日,ケーマーは,詩人達に賞賛されていた竹林園に出かけたところ,   偶然にもブッダと出会ってしまった。   ブッダは,天女を美しい女に変えてケーマーと向き合わせた。   ケーマーは,自分よりもはるかに美しいその天女たちを見つめていると,   その若く美しい天女たちはまたたくまに醜い老婆に変化し,死んでしまった。   そこで,ブッダは,ケーマーに,欲望の虚しさや,無常の理を静かに諭したのであった。  →すべてのものは,生じては滅し,一瞬もとどまることがない。   しかし,人は,己の愛欲や執着のために,無常を忌避し常住を願い,   それがかなわぬことに苦悩する。 【悟】=生起と消滅は不二 →日本中世文学において,ブッダの悟りは必ずしも正確に相伝されたとはいえない。   むしろ,ブッダの「無常観」よりも,情緒に流れた「無常感」に傾斜している。

    V 『閑吟集』の世界 [庶民の「無常」に関する感覚]

       ・室町小唄の珠玉を集めた選集(アンソロジー) 永正15年(1518)に成立。    ・『詩経』に倣って三百十一首の歌謡を収める。    ・勅撰集の部立<春・夏・秋・冬・恋>を基本に,連想により配列。

    「うき世」に関する歌謡

    49〜55番の歌謡  「世の中は,無常・夢幻である」との認識を持つが,   ユーモラスなとぼけた味わいが特色。  「憂き世」(古代・中世)から「浮き世」(近世)へと変遷していく過程に注目!  49世の中は ちろりに過ぐる ちろり ちろり (世の中はちろっと,過ぎていく。瞬く間に,時は過ぎていくよなあ。)  50何ともなやのう 何ともなやのう うき世は風波(フウハ)の一葉よ   (何ということもないんだなあ。じつにまあ,何ということもないんだなあ。    浮き世というのはね,風に吹かれ舞い散る一枚の落ち葉のようなものなんだよ。)    「なにともな」:思いがけない事態に直面したとき発する成句。            「おやまあ・あほらし・しょうもな」  51何ともなやのう,何ともなやのう,人生七十古来まれなり。    (いろいろあったようにも思うけど,よう考えたら,なんということもな かったわ。     人生七十は,昔から稀だってんで古稀と言うけど,自分も はや七十歳。     本当に,どうしようもなく生きてきたもんだ,あほらし。)  52ただ 何事もかごとも 夢幻や水の泡   笹の葉におく露のまに あぢきなの世や     (この世は,すべて夢幻である。水の泡のように儚く消え去るもの。      たとえていえば,笹の葉の上についた露のように,瞬く間に転げ落ちる運命にあるのさ。      まあ,なんという味気ない世の中であることよなあ。) 54夢幻や 南無三宝     (この世は,夢幻のようなものだって,こいつは大変だね。)  55くすむ人は見られぬ 夢の夢の 夢の世を うつつ顔して     (この世を夢幻とまじめくさって陰気にふさぎこむヤツなんて,見られたもんじゃないぜ。      夢の,夢の,夢の世を,一人醒めたような顔をしやがって)   56何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ     (何してるんだか,まじめくさって陰気な顔して。      所詮,人生は夢よ。狂い興じて過ごせばいいのさ。)  63思ひ廻せば小車の 思ひ廻せば小車の わずかなりける浮き世かな     (いろいろと考えてみてもだよ,それはまあ言ってみれば,      小さな車があくせくとひとときも休まず廻ってたようなもんで,      それでわかることは,じつにちっぽけなもんさ。      浮き世ってのはね,こうやって,過ぎていくもんなんだよ。      ちっぽけな車のくせして,世間の了見を全部知ろうなんて,思い上がっちゃあいけないよ。      落胆したってしょうがないだろ,エッ,こいつはどうもしょうがないね。)  64宇治の川瀬の水車 何とうき世をめぐるらう。 (『閑吟集』1518以前) (宇治の川瀬の水車は,はてはて,いったいどれだけの間,何を考えて      この憂き世をめぐってきたのだろうか。) 関連する作品 『平家物語』巻.徳大寺厳島参詣事      宇治の川瀬を見渡せば 憂き世にめぐる水車    『宗安小歌集』118      →省略      →近世:淀の川瀬の水車,誰を待つやらくるくると 参考:【『閑吟集』の世界】<世の中を無常と観じて,世の中を慈しむ> 114 ただ人は情けあれ 夢の夢の夢の      昨日は今日の古イニシへ 今日は明日の昔  123何と鳴海の果てやらん 潮に寄り候ソロ 片し貝      (干満の激しい鳴海の浦のように,この先はいったいどうなる身なのであろうか。       潮の流れに打ち寄せられて流れきた片し貝のように,       私の心はあの人の方に流れ寄せられ,身と心は別々になってしまっ       たことだなあ)懸詞:鳴海/なる身    139来ぬも可なり 夢の間の露の身の 逢ふとも宵の稲妻

    W 『平家物語』の世界 [平家一族の興亡を描く叙事詩]

    平家物語とは?  1185年に壇ノ浦に沈んだ平家一族の盛衰を描いた物語。  琵琶法師によって語られた。   安徳天皇は,一度は大宰府まで来たが,菊池氏によって肥後への関を閉じられた。   そこを緒方惟義に攻められて,再び瀬戸内海へと戻っていった。   安徳天皇が超えることのできなかった関周辺の伝承   → 山川町の平家伝承へ
  • 諸行無常を,<鐘><花>に着目して考察する。   <鐘> → 万象を諸行無常と観じて,だからこそ人々よ己の生を慈しめと,鐘は響く。 『平家物語』は,初めと終わりに鐘の声が響く構造になっている。 祇園精舎の鐘の響きによって『平家物語』は幕を開ける。   平家鎮魂の琵琶語りは,   地獄の世界に堕ちる平清盛や,   「見るべきものは,すべて見た」と言い放ち海に身を投じる平知盛らを見つめ,   「潅頂巻」に至る。 平家滅亡の修羅場となった壇の浦の海中から義経の船に引き上げられた建礼門院は,   滅んでいった武将達の菩提を弔うため大原の寂光院に小さな庵室を結ぶ。     建礼門院=清盛の娘。     壇の浦で清盛の妻に抱かれて沈んでいった安徳天皇の母。     大原に隠棲するのは,文治元年1185年9月。     1185・3・24 義経,平家を壇ノ浦で破る。        9 建礼門院,大原に入る。        11・3 義経,都を去る。     1186・4・20以降 後白河法皇,大原御幸。     1191・2   建礼門院死去     1192    後白川院死去 『平家物語』の序段と巻末   『平家物語』序段=巻頭の部分     祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり。     沙羅双樹の花の色,盛者必衰の理を顕はす。     奢れる者久しからず,只春の夜の夢のごとし。     猛き人も遂には滅びぬ,偏に風の前の塵に同じ。 『平家物語』潅頂の巻(女院死去)=『平家物語』巻末の段冒頭部分     さる程に寂光院の鐘の声,今日も暮れぬとうち知られ,     夕陽(セキヨウ)西に傾けば,    (後白河法皇は)御名残惜しうはおぼしけれども,     御涙をおさへて還御ならせ給ひけり。     女院(建礼門院)は今更いにしへをおぼしめし出でさせ給ひて,     忍びあへぬ御涙に,袖のしがらみせきあへさせ給はず。    (袖で涙をせきとめることもできない)。 後白河法皇−−高倉天皇 |−−安徳天皇 平 清盛 −−建礼門院   建礼門院は,平家の興亡のすべてを見て,文治元年1185大原の寂光院に小さな庵室を結ぶ。    文治二年四月,後白河法皇が女院のわび住まいを訪れ,六道を巡る興亡を共に語る。    時代の中で数奇な運命を辿った二人は,寂光院の鐘の声を聞きこの世の最期の別れをする。   『平家物語』は,女性の眼が重要な役割を果たしている。    その中でも,建礼門院は,清盛の娘であり安徳天皇の母でもあったため,    物語の軸を構成する役割を果たしている。      →『寂光院残照』永井路子 集英社文庫1985/1 語釈 ・祇園精舎=中部インドのサーヴァッティー国にあった僧坊。       スダッタ長者が釈迦とその弟子のために寄進。       もとは七層の建物であった。       玄奘(西遊記の主人公のモデルになった!)が訪れた七世紀には既に荒廃していた。 祇園精舎には病僧が止宿する無常堂があり,病者が死ぬ時に堂の四隅の鐘が鳴る。 ・沙羅双樹=釈迦がその下で死んだ時,ともに枯死して,花も葉も白く変じた。 ・諸行無常 (1)『涅槃経』  諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽  (2)『往生要集』源信(天台宗/比叡山横川)985          浄土思想の代表的経典。「厭離穢土 欣求浄土」を説き,浄土と地獄を克明に描く。           <仏=性善・性悪/修善 →← 人=性善・性悪/修悪>      諸行は無常なり。是れ生滅の法なり。      生滅滅し已って,寂滅を楽と為す。 と。      已上。祇園寺無常堂の四つの角に頗梨の鐘有って,鐘の音の中に,亦此の偈を聞く。   (3)『涅槃和讃』  跋提河の波の音,生者必死を唱えつつ,             沙羅双樹の風の声,会者定離を調ぶなり。            祇園の鐘も今更に,諸行無常を響かせり。   (4)『梁塵秘抄』  迦葉尊者は石の室  祇園精舎の鐘の声            醍醐の山には仏法僧 鶏足山には法の声     (5)『三宝絵』源為憲 984 「雪山童子」(上10)梗概     心を清めて修行に励む雪山童子を帝釈天が試そうとする。       「心を発す者は多いが,仏になる者は少ない。この童子は?」     →童子は「諸行無常 是生滅法」の声を聞く。      辺りを見回してもただ鬼がいるばかり。      童子は鬼に自分の身体を与える代わりに,残りの偈を教えてくれと頼む。 鬼は,「生滅滅已 寂滅為楽」と答える。      童子は石の上や道に書付け,      後から来る人はどうかこの偈を見てくれと念じ高い木の上から飛び降りた。      そのとたんに,鬼は帝釈天に変わって,童子の前に膝まづいた。      その童子は,菩薩の化身であった。   (6)『三宝絵』冒頭(総序)  古の人の云へることあり。      「身を観ずれば岸の額ヒタヒに根を離れたる草,命を論ずれば,江の辺ホトリにつながざる舟」と。      また,「世の中を何にたとへむ,朝まだき漕ぎゆく船の跡の白浪」と云へり。  唐にもこの朝にも,ものの心を知れる人はかくぞ云へる。      いはんや悟り深く慈びひろくいます仏の御教(ミノリ)に      「世はみな全からざること水の沫,庭水かげろふのごとし。       なんぢらことごとくまさにとく厭い離るる心をなすべし」と宣へり。 ※「身を観ずれば〜」=『和漢朗詠集』(無常)              =和泉式部集(歌の最初の字をつなげる)  (7)人間わずか五十年 化転のうちにくらぶれば夢幻の如くなり(織田信長辞世) (8)散る桜 残る桜も散る桜 (良寛辞世)   (9)むざんやな 甲の下のきりぎりす  芭蕉    夏草や 兵どもの夢のあと 芭蕉    けふも一日 風を歩いてきた    山頭火   (10)『金剛般若波羅密経』応化非真分第三十三    一切有為法。如夢幻泡影。如露亦如電。応作如是観。   (11)『維摩詰所説経』方便品第二    是身如聚沫。不可撮摩。是身如泡。不得久立。    是身如焔。従渇愛生。是身如芭蕉。中無有堅。 是身如幻。従顛倒起。是身如夢。為虚妄見。 是身如影。従業縁現。是身如響。属諸因縁。 是身如浮雲。須叟変滅。是身如電。念々不在。   現代語訳    わたくしたちのからだは,水の泡が集まっようなものである。     何かに触れてこすれたりすれば,たちどころに崩壊してしまう。    わたくしたちのからだは,水面に浮かぶ泡のようなものである。     長らく存在することはできない。    わたくしたちのからだは,火焔のようなものである。     愛欲を渇望する心から生まれている。    わたくしたちのからだは,芭蕉のようなものである。     中に堅いものがあるわけではなく,風が吹けばそちらになびく。    わたくしたちのからだは,幻のようなものである。     そもそも逆さまに立っている。(倒れるのが自然である)    わたくしたちのからだは,夢のようなものである。     真実を見ることなく,虚の間違ったものを見て生きている。    わたくしたちのからだは,影のようなものである。     すべては今までの業によって,今形を現しているにすぎない。    わたくしたちのからだは,音が響くようなものである。     もろもろの因縁に属して存在している。    わたくしたちのからだは,浮雲のようなものである。     たちまち変じて滅びてしまう。    わたくしたちのからだは,雷のようなものである。     瞬時にして消えてしまう。 資料<鐘>−−祈りの風景−− (1)松にふく風のみどりに声そへて ちよの色なるいりあひの鐘  藤原定家   夏の夕暮れ時,秋の到来を告げる風にふかれながら一人佇む歌人藤原定家は,    無限の彼方へと響きわたる鐘の声に何を想ったか。    時代は,『平家物語』や『方丈記』にも描かれた戦乱の世の中。    定家は,「紅旗征戎非吾事」(『明月記』)と記し,    混沌とした世の中とは無縁に,時代を超えて立とうとする。 歌中の「ちよの色」は,鐘の響きを形容するが,    そこにこめられた様々な祈り,さらには鐘を聞く人々の心を修飾する。 (2)ほのかなる鐘の響きに霧こめて そなたの山はあけぬとも見ず   定家     「ほのかなる」=眼前に展開する実相            =心象風景    人々の祈りの心が鐘の音が,静かに虚実二つの世界に響きわたる。    祈りの心の平安が,「ほのかに」の言辞に集約されている。    実相から心象へ。「見る」視線は,心の中へと消えていく。  (3)つきはつる秋のおもひにひびきあひて 枕にさむき鐘の声かな   定家 (4)山里の春の夕暮れ来てみれば 入相の鐘に 花ぞ散りける      能因  (5)鐘がものを云ふ 霧だ霧だと    鐘がものをいふ 生きろ生きろと    平林たい子 霧が峰頂上石版 鐘は大地の上を響きわたり,そこにこめられた祈りによって野や山を浄化する。 ・いのち噴く 季トキの木ぐさの ささやきを ききてねむりあふ 野の仏たち 生方たつゑ     春の訪れ。今,時を得て,命の絨毯に被われた大地。     木や草の囁く声を耳にしながら,肩を寄せあうようにして眠りにつく野の仏たち。     生きとし生けるものに対する慈悲の心が歌の言葉に昇華している。 ・高嶺星 蚕飼の村は 寝しづまり        秋桜子 ・太郎をねむらせ 太郎の屋根に雪降りつむ 次郎をねむらせ 次郎の屋根に雪降りつむ 三好達治 資料<花>  <花>=散る美学:無常→『平家物語』冒頭<鐘><花> 『古今和歌集』=日本で初めて(905?)仮名によって編纂された和歌集。           四季のうつろいを時間軸にして編纂。                 →無常を美的感覚で捉え,仮名によって表現。 『古今和歌集』の<花>−−無常の美に関して−− ・袖ひちて むすびし水の 凍れるを 春たつけふの 風やとくらむ  紀貫之 ・雪のうちに 春は来にけり 鴬の こほれる涙 今やとくらむ    二條后 ・色よりも 香こそあはれと おもほゆれ たが袖ふれし 宿の梅ぞも ・見わたせば 柳桜をこきまぜて みやこぞ春の錦ニシキなりける  ・うつせみの世にもにたるか山ざくら さくとみしまに かつ散りにけり     <うつせみの世>=<山桜>→散る ・ひさかたの ひかりのどけき 春の日に しづごころなく 花の散るらむ ・春ごとに 花のさかりは ありなめど あひ見むことは 命なりけり     <花>→←<命> ・花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに 小町   【考察】=「花の色は」の歌について   すべてのものがうつろうこの世にあって,美しく咲いている桜花も春雨に濡れ散ろうとしている。 <花>:桜。さらに春に咲く花を主として,四季の花を総括。       散る桜は,自分の姿そのものである。   <ふる> :「(雨が)降る」  → 自然  「(時が)古・経る」→ 人間の時間・歴史 <ながめ>:「長雨」      → 自然  「眺め」 →人間の行為   ひらかなの優雅な調べに,深い女心がとけている。    そぼふる春雨のむこうには,平安王朝の美が透けて見える。  ・かくありし時過ぎて,世の中にいとものはかなく,とにもかくにもつかで,世に経る人ありけり。                                     『蜻蛉日記』序文  ・世にふるも さらに時雨の やどりかな 宗祇  ・世にふるは さらに宗祇の やどりかな    芭蕉 『新古今和歌集』の<花>−−無常の美に関して−− ・うぐひすの涙のつららうちとけて 古巣ながらや春を知るらん ・岩そそく垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかな ・はかなくて過ぎにしかたをかぞふれば 花にものおもふ春ぞ経にける ・またや見ん 交野のみ野の桜狩 花の雪散る春のあけぼの ・ながむとて花にもいたくなれぬれば 散る別れこそ悲しかりけれ ・桜花 夢かうつつか 白雲の 絶えて常なき 峰の春風 ・はかなさを ほかにも言はじ 桜花 咲きては散りぬ あはれ世の中 ・ながむべき 残りの春を かぞふれば 花とともにも 散る涙かな ・花は散り その色となくながむれば むなしき空に 春雨ぞふる 『新古今和歌集』の美−−中世の<幽玄・わび>−−  三夕の歌  ・寂しさは その色としもなかりけり 槙立つ山の秋の夕暮れ  寂蓮(幽玄)  ・心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ   西行(幽玄)  ・見わたせば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ  定家(わび) 西行「見わたせば」の歌に関する考察 言葉によって喚起されるイメージの配列 見わたせば → <花(春)> <紅葉(秋)> 四季の中で最も美しい季節を彩る二つの要素が歌の中に配される。王朝の美。 !!なかりけり  《色彩にあふれた世界を消去→寂寥》         <浦の苫屋> 誰もいない浜辺にひっそりと佇む漁師の小屋。               海のはるかかなたから,秋の風がふく。            <秋の夕暮れ> 水平線の向こうには,壮大な秋の夕景がひろがっている。 平安王朝の美を消去した画布の上に展開する中世の夕景。 無常=「すべてのものは,永遠に存在し続けることができない」       平安王朝の美を前提として,中世の美を照射する概念となる。 中世和歌の<花> ・ながむとて 花にもいたく なれぬれば          散る別れこそ 悲しかりけれ  (『山家集』西行) ・この世には 忘れぬ春の おもかげよ          おぼろ月夜の 花のひかりに (『式子内親王集』式子内親王) ・花は散り その色となく ながむれば          むなしき空に 春雨ぞふる   (『式子内親王集』) ・花ならで またなぐさむる かたもがな          つれなく散るを つれなくて見む (『式子内親王集』) ・ひとしきり 吹きみだしつる 風はやみて          誘はぬ花も のどかにぞ散る  (『風雅集』藤原為兼)

    X 『いろは歌』の思想[無常]

        色はにほへど 散りぬるを     わが世誰ぞ  常ならむ     有為の奥山  今日こえて     浅き夢見じ  酔(ゑ)ひもせず 万物は,流転する。    美しく咲き誇る花の色も,無常の風が吹くや色あせ散っていく。    人の命も,同じである。この世の中のありとあらゆるものが,    いつの日にか風に散る運命にある。    永遠に存在し続けることのできるものは,何もない。    つくられうまれ来たすべての有為のものは,うつり去る。    生滅の繰り返されるこの夢のような世界を今こそ超えて,悟りの道を踏み歩いていこう。    もはや,春の夢のようにはかない世界に執着などしないようにしよう。    あさはかな夢に酔うこともしないでおこう。  『涅槃経』(注:→諸行無常)    諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽 『往生要集』     諸行は無常なり 是れ生滅の法なり     生滅滅っし已って 寂滅を楽と為す と。已上。祇園寺無常堂の四の角に頗梨の鐘有って,鐘の音の中に,亦この偈を聞く。 系統図  『涅槃経』……→いろはうた →→→『往生要集』……→『平家物語』 いろは歌の成立  970頃?   『源氏物語』の古注釈書『河海抄』は空海作とするが,誤り。   空海の時代=ア行のえ(衣)eとヤ行のえ(江)を区別。   『平家物語』冒頭の部分といろは歌の共通点。     <無常の風><花の色><春の夢>

    Y 無常観の史的展開

    上代文学に於ける「無常」 ・『万葉集』 308 博通法師の,紀伊の国に往き,三穂の石屋を見て作る歌    常磐なす石屋イハヤは今もありけれど 住みける人ぞ常なかりける  「常磐」=常に変わらない岩。石屋=いわや。洞窟。  1270 物に寄せて思を発オコす    隠口(コモリク)の泊瀬の山に照る月は満ち欠けしけり人の常無き     隠口=死者を葬るところ。泊瀬=「果つ世」  1045 寧楽(ナラ)の京の荒れたる墟(アト)を傷み惜しみて作る歌    世間(ヨノナカ)を常無きものと今ぞ知る 平城(ナラ)の京師(ミヤコ)のうつろふ見れば  3849 世間(ヨノナカ)の無常を厭ふ歌二首    生死(イキシニ)の二つの海を厭はしみ潮干の山をしのひつるかも  3850世間の繁き仮廬(カリホ)に住み住みて至らむ国のたづき知らずも     右(上)の歌二首は,河原寺の仏堂の裏に,倭琴の面にあるのなり   ※「二つの海」:「何ンカ能ク生死ノ海ヲ度シテ,仏智ノ海ニ入ラン」華厳経   ※「仮廬」:「世間虚仮」上宮聖徳法王帝説  以下は,大伴家持の歌である。 「無常」に関する,大伴家持の歌   家持が天平11年739(24歳)に妾を亡くした秋に詠じたもの。  462今よりは秋風寒く吹きなむを いかにか独り長き夜を宿ネむ  464 また家持,砌(軒下の敷石)の上(ホトリ)の撫子(ナデシコ)の花を見て作る歌一首    秋さらば見つつ偲べと妹(イモ)が植ゑし屋前(ニハ)の石竹花(ナデシコ)咲きにけるかも     (秋になったら見てくださいとあなたが植えた撫子が咲いた)    参考 4070 一もとのなでしこ植ゑしその心 誰に見せむと思ひそめけむ  家持  465 月移りて後,秋風を悲しび嘆きて家持の作る歌一首    うつせみの世は常なしと知るものを 秋風寒み偲ひつるかも     (この世は無常の世であると知ってはいたが,秋風が寒くなって君をいっそう偲び悲しむことである。)     ※「うつせみの」:「世」「人」にかかる枕詞。              平安時代以降になって「蝉の抜け殻」という原義をもとに             「はかない」という意が確定した。              「人間・現世・人生・世間」などの意味がある。  466 また,家持の作る歌一首   わが屋前(ニハ)に 花そ咲きたる そを見れど 情(ココロ)行かず 愛(ハ)しきやし   妹(イモ)がありせば 水鴨(ミカモ)なす 二人並びゐ 手折りても 見せましものを(反実仮想)   うつせみの 借れる身なれば 露霜の 消ぬるごとく あしひきの 山道(ヤマジ)を指して 入り日なす   隠りにしかば そこ思ふに 胸こそ痛め 言ひもかね 名づけも知らず 跡もなき   世間(ヨノナカ)にあれば せむすべも無し 【訳】「季節が来たら見てくださいね」とあなたが手ずから植えた花が,こんなにきれいに咲きました。 あなたがこよなく愛した撫子の花。      私は,この可憐な花を見るたびに,あなたへの思慕が募るばかりで心は慰められないのです。 心から愛しあったあなたが生きていたならば,      水に並んで浮かぶ鴨のように二人一緒に座り,撫子の花を手折って見せてあげれたのに。 そんなとき,いつもあなたは,どんなに美しくほほえんでくれたことでしょう。 そういうあなたの幸せそうな笑顔を見ることが,私にとって,一番の喜びでした。      しかし,この身は仮の存在。はかなく散る運命。      あなたは,まるで露や霜が消えてしまうように,独りで遠い国へと続く山路を旅に発ってしまいました。 夕陽はるかに西の山に沈み,いま私は,独り風の中に佇んでいます。      あなたと過ごした,あの幸せに満ちた日々。      私の胸は,張り裂けそうに痛みます。      あなたのいないこの寂しさを,私は,言葉で表すこともできません。      そもそも,あまりに苦しいこの心の痛みは,「寂しさ」と言われているものなのでしょうか。      朝早く,靄の中に漕ぎ出した舟の跡がすぐに消え去り,      後には何もなかったかのような静寂が訪れるように,      あなたのいなくなったこの空間はひっそりと静まり返っています。      あなたは,もういないのですね。      跡もとどめずにあなたが去っていったように,      独り残された私も,ただ時の流れに淋しく浮漂し,やがてそっと消え去るしかないのでしょうか。      君がいて,私がいて,心の底から愛しあって,      そして,二人は,それぞれに無窮の果てへと旅をするために別れなくてはなりません。      無常,それが,この世の決まりなのですね。 467 時はしも何時(イツ)もあらむを 情(ココロ)いたく 去にし吾妹(ワギモ)か 若子(ミドリゴ)を置きて   なんということだ!      死ぬときは,今でなくてもいいものを。      赤ん坊を置いて,悲しくも死んでいった妻であることよ。  470 かくのみにありけるものを 妹もわれも 千歳のごとくたのみたりける  472 世間は常かくのみと かつ知れど 痛き情(ココロ)は忍びかねつも  474 昔こそ外(ヨソ)にも見しか 吾妹子(ワギモコ)が 奥つ城(キ)と思へば愛(ハ)しき佐保山 4160  世間の無常を悲しぶる歌一首    天地の 遠き始めよ    世の中は 常無きものと 語り継ぎ ながらへ来れ    天の原 ふりさけみれば 照る月も 満ち欠けしけり    あしひきの 山の木末(コヌレ)も    春されば 花咲きにほひ    秋づけば 露霜負ひて    風交(マジ)へ 黄葉(モミジ)散りけり    うつせみも かくのみならし    紅の 色も移ろひ    ぬばたまの 黒髪変り 朝の笑み 暮(ユフベ)変わリ    吹く風の 見えぬが如く    逝く水の 留(トマ)らぬ如く    常も無く 移ろふ見れば    にはたづみ 流るる涙 止(トド)みかねつも 4161 言(コト)問はぬ木すら春咲き秋づけば黄葉散らくは常無けむとぞ 4162 うつせみの 常無き見れば 世のなかに 情(ココロ)つけずて 嘆く日そ多き 現代語訳 4160〜4162  天地創造の遠い昔から,  世の中は無常であると翁たちは語り継ぎ言い継いできたが,  大空を振り仰いでみると,  照る月も満ち欠けして,恒久の存在ではない。  山の木々も,   春のおとずれとともに花を咲かせて色づき,   秋が深まり露や霜が降り風が吹くとともに,紅葉が地を染める。  人間もこのように移ろいの相の中に生きる運命にあるらしい。  若き日々の紅の顔色もいつの日にか色あせ,  黒髪にも白いものが混じり,  朝微笑んでいたかとおもうと夕べには無常の風に吹かれねばならない。  無常は,吹く風が眼には見えないように,   いつともなく訪れ   無常は,流れゆく水が一時も止まらないように,   つねに我々を時の川の中に押し流す。 すべてありとあらゆるものは,そのまま存在し続けることができず,転変を強いられる。 私はいま,無常の川の淵に佇み,涙が流れるのにまかせている。  人生の無常を観じるにつけ,俗世間に心を執着させる気持ちにならず,  もの思いをする日々が多くなったことだ。 病に臥して無常を悲しび,修道を欲して作る歌二首 4468 うつせみは数なき身なり 山川の清(サヤ)けき見つつ道を尋ねな     人間とははかない存在であることを思い知った。     山川の清らかな世界を見ながら仏道を修行したいと願っている。 4469 渡る日の影に競キソひて尋ねてな 清きその道またも遭はむため     天を東から西へ翔ける日の光と競うように,     まっすぐ尋ねていきたいと願っている。     清浄な仏の道を真摯に歩き続け,再び人の生を受けて仏の道に出会うことができるように,と。 寿(イノチ)を願ひて作る歌一首 4470 泡沫(ミツホ)なす仮れる身そ とは知れれども なほし願ひつ千歳の命を  参考:維摩詰所説経,方便品第二 中古文学に於ける「無常」  『平安朝歌合大成』(885〜1189年)によれば,無常は歌題になっていない。  『古今和歌集』:「哀傷」の部に,「無常」の語は見られない。  『拾遺和歌集』1007?:「哀傷」の歌に仏教の理念が入る。 『和漢朗詠集』1018?:「哀傷」の部立てがなく,「無常」になる。 無常が,仏教と結びつくのは『拾遺和歌集』の頃から。  即ち,『源氏物語』を成立させた時代を基盤に無常観は一般化した? 『源氏物語』も,無常観が集の成立を可能としている。 『古今和歌集』 603(恋) 恋しなばたが名は立たじ世の中の常無きものといひはなすとも 『後撰集』 193<夏>常もなき夏の草葉に置く露を命とたのむ蝉のはかなさ 『拾遺和歌集』哀傷の歌に仏教の理念が入る。  →無常観を集の基本理念の一つとする。『三宝絵』と,関係が深い。 1300 常ならぬ世はうき身こそ悲しけれ 其の数にだに入らじと思へば  公任 1299世に中にあらましかばと思う人なきが多くもなりにけるかな   為頼  子ふたり侍りける人の,ひとりは春まかりかくれ,いまひとりは秋なくなりけるを, 人のとぶらひて侍りければ 1311春は花秋は紅葉と散り果てて立ちかくるべき木のもともなし    1313うきながら消えせむものは身なりけり うらやましきは水の泡かな 紀友則みまかりけるに詠める 1317あすしらぬ我が身と思へど暮れぬまのけふは人こそ悲しかりけれ 貫之 1318夢とこそいふべかりけれ世の中はうつつあるものと思ひけるかな 世の中心細くおぼえて常ならむ心地し侍りければ,公忠朝臣のもとに詠みてつかはしける, 此の間やまひおもくなりにけり。 貫之 1322手にむすぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にこそありけれ   この歌詠みて程なくなくなりにけるとなむ家の集にかきて侍る 『和漢朗詠集』「無常」  現代語訳1 手にすくった水に映っている月影のように,あるのかないのか定めのつかないわが世であることだなあ。 現代語訳2 天に輝く実像としての月と,掌にすくった水の中に映って輝く虚像としての月。        実在と非在が交錯する世の中に私は生きてきた。 世のはかなき事をいひて詠み侍りける 1326草枕人はたれとか言ひおきし つひのすみかは野山とぞみる     順 1327世の中を何にたとへむ朝ぼらけ漕ぎゆく舟の跡の白波    沙弥満誓 『和漢朗詠集』無常 790身を観ずれば岸の額に根を離れたる草  命を論ずれば江の頭(ホトリ)に繋がざる舟 羅維    人間の身について,心を静めて考えてみよう。 人間の身とは,まるで岸辺から根を離した草のようなものではないのか。    人間の命のついて,心を静めて考えてみよう。 人間の命とは,川の畔ホトリに浮かんでいる繋いでいない舟のようなものだ。    どちらも,危うく存在しているという点では一致している。    SEE:・『和泉式部集』(和歌冒頭に一字ずつ使用) ・『大原御幸』謡曲 ・『三宝絵』 791年々歳々花あひ似たり 歳々年々人同じからず  宋之問 792蝸牛(クワギウ)の角の上に何事をか争ふ   石火の光の内に此の身を寄せたり     カタツムリの角の上で,いったい何を求めて争いあっているのだろうか。     −−しかし,人間というのは,こういう愚かな争いを続けるものらしい。 石を打った時に出る火花が消えるまでの短い時間を生きているような存在なのにね。   ※『荘子』則陽編 蝸の左の角に触氏国,右の角に蛮氏国があり,土地を取り合って戦争を始めた。     戦死者数万人,五日間戦争が続いた。 793生ある者は必ず滅す 釈尊いまだ栴檀の煙を免マヌかれたまはず   楽しみ尽きて哀しみ来(キタ)る 天人もなほ五衰の日に逢へり    生きている者は,必ず死ぬ。釈迦も,死を超克できなかった。    釈迦の納められた金棺は,栴檀の煙の中で火葬に処せられることを免れることができなかった。 楽しいときが過ぎ去ると悲しみが訪れる。    これが,世の道理である。    天人といえども,やがて滅びる運命から逃れることはできず,五衰の相が顕れる。 ※唯心房集の今様 きのふはさかゆと みしかども けふはかなしみ きたるめり     にんげんおもへば あぢきなし 天にも五すゐぞ まぬがれぬ ※「五衰」=天人が滅びる時の相。         華鬘が萎える・天衣に垢や埃がつく・脇の下に汗が流れる         両目が瞬きをする・今までの住居に満足できない 794朝(アシタ)に紅顔あって世路に誇れども 暮(ユフベ)に白骨となって郊原に朽ちぬ   義孝少将 795秋の月の波の中の影を観ずといへども   いまだ春の花の夢の裏ウチの名を遁(ノガ)れず     実体としての月と湖水に映る虚像としての月をながめ,     虚実の悟りを開かんと思索を深めようとしてみたものの,     夢の中で見る春の花のような華やかな栄光の魅力には打ち勝つことができないでいる。 796世の中を何にたとへむ 朝ぼらけこぎゆく舟のあとの白波 797手にむすぶ水にやどれる月かげの あるかなきかの世にこそありけれ 貫之 →SEE:『 拾遺和歌集』1322 798末の露もとのしずくや世の中のおくれさきだつためしなるらん    梢におく露,木の根本につく滴,それぞれに地に落ちる時は異なるが,結局は同じ運命にある。    それは,世の中において先立つはずだった人が遅れたり    遅れるはずだった人が先立ったりするのと同じことなのである。 中世における無常 『山家集』  参考文献:新潮日本古典集成       西行山家集全注解 渡部保 1971/1 757 鳥部野を心のうちに分けゆけば いぶきの露に袖ぞそぼつる    無常の思いを抱きながら草の茂った鳥部野の山道を踏み分けていくと,    私の嘆きの息吹が露になったのであろうか,しとどに袖が濡れそぼつことであるよ。 鳥部野:京都東山。清水寺に至る参道の周辺。墓地。 764 はかなしや あだに命の露消えて野辺に我身や送り置くらん    なんと儚いことであることか。    命は野辺に置く露のように消えていき,    我が命も露と同じように消え,亡骸を野辺に送り置くことになるのだろう。    縁語:露・消える・命 767 秋の色は枯れ野ながらもあるものを 世の儚さや浅茅生の露   秋の色は,冬の枯れ野にも残っているものを,この世はなんと儚いことであろうか。    浅茅生の露のようにしばらくもとどまることなく消えていくことである。 770 暁ノ無常を   つきはてしその入相のほどなさを この暁に思ひ知りぬる    夕暮れ響く鐘の音は,一日の終わりを告げる。    一日が終わる早さは,人生が過 ぎゆく早さと同じである。    そのことを,この暁に鐘の音を聞きながら思い至った。 777 諸行無常の心を   はかなくて過ぎにしかたを思ふにも今もさこそは朝顔の露   儚く過ぎ去った過去を思うにつけても,こうしている今もまたそのように無常であることだ。    たとえれば,朝顔のに置く露が,瞬く間に消えてしまうように。 <無常十首> 1513 儚しなちとせ思ひし昔をも夢のうちにて過にける代は    なんと儚いことか。    千年も生きながらえたいと願っていた昔をも,いつのまにか夢のように儚く過ごしてしまったことだ。  1514 ささがにの糸に貫く露の玉をかけて飾れる世にこそありけれ    この世の儚さは,    たとえて言えば,切れやすい蜘蛛の糸に貫かれた露の玉を首にかけているようなものである。    そして,虚飾と欺瞞にみちた世を,もの知り顔をして歩いている。 1515 現(ウツツ)をも現とさらに思へねば夢をも夢と何か思はん    現実の世を現実であるとはまったく思えないのであるから,    ましてや夢を夢と思えようか。    虚実が交錯する夢幻の世界を,我々は漂泊するのである。 1516 さらぬこともあとかたなきを分きてなど露をあだにも言ひもおきけん    露以外のものも跡形なく消え去るという点では同じなのに,    とりわけなぜ露をとくに儚いものと言い置いたりしたのであろうか。 1517 灯火の掲げ力も無くなりて止まる光を待つわが身かな    灯心をかきたてて明るくするといった力すらなくなって,    たた光が消えるのを待つだけの我が身になったことだなあ。 1518 水干たる池にうるほうしたたりを命にたぬむ魚イロくずやたれ    水が干上がった池に住み,    ほんのわずかばかり一時の潤いをもたらす水の滴りを命とたのむ魚,    はてそれは誰のことであろうか。    ほかならぬ,私自身のことではないか。 1519 みぎは近く引き寄せらるる大網に幾せのものの命籠れり    いくせ:「幾瀬」「幾千」をかける。「幾瀬々の幾千の命」 1520 うらうらと死なんずるなと思ひ解けば 心のやがて然ぞと答ふる 1521 言ひ捨てて後のゆくへを思ひ解けば さてはいかに浦島のはこ    後は野となれ山となれと    考えることを放念して開き直って世を捨ててみたものの,    さて来世はいかなることやらんと思いだすと,    さてさていかなることになるのやら,    たいした考えもなく浦島の箱を開けてしまったようなもので,    老い先短い自分の末路に愕然とすることである。 1522 世の中に亡くなる人を聞く度に思ひは知るを愚なる身に 思ひは知る:「は」は詠嘆。 中世の無常観については,「わび」「さび」「幽玄」などと密接な関係をもつ。


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