福岡県山川町の信仰と伝承

谷軒の山姥(母神)信仰

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2005年6月発表「福岡県山門郡山川町の平家谷」に関する資料です。
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平(平家の里)デーラと谷軒(平家の里)タンノキは,豊前街道をはさんで向かい合っています。



谷軒タンノキ山姥伝承


  • たんのきばあさん の生没年
  • たんのきばあさん の秘密の呪文
  • たんのきばあさん の伝承

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谷軒ばあさんの数珠
21日間祈り続けると
満願の日に掌中にあった!

たんのきばあさんの数珠
福岡県山門郡山川町谷軒は,
平家谷として知られています。
  平家谷とは?
   源氏に破れた平氏が,
   人里離れた山中の谷に住んで
    ひっそりと暮らしてきた集落です。
   
谷軒は平家落人の集落ですが,
「たんのきばあさん」の住んでいた里としても有名です。

たんのきばあさんの生没年は?
【通説】
 宝暦年間(1751-1764)に生まれ,百歳を越える長寿を全うしました。
 さまざまな霊験で知られています。
 → 今回の調査で,この説がきわめて怪しいものであることが判明。
 

  宝暦年間とは,どんな時だったのでしょうか?   (1) 宝暦元年:大岡忠相没。    大岡忠相は,将軍吉宗により江戸南町奉行に登用され,    町火消制度の開始,小石川養生所の設置など江戸市政を推進しました。    大岡政談の主人公に擬せられたことで有名になりました。   (2) 宝暦5年:朝鮮の飢饉救援のために,対馬藩に金1万両を与えました。    この年は奥羽地方でも例外のため大飢饉に襲われ,    八戸・盛岡などで多数の餓死者が出ています。   (3)宝暦7年:平賀源内が江戸湯島で薬品会(物産会)を開催。   (4)宝暦13年:本居宣長が賀茂真淵に入門。   もし,たんのきばあさん が宝暦年間に生まれていたら,   平賀源内・上田秋成(『雨月物語』など)・前野良沢(『解体新書』)   などと同時代を過ごし,   江戸時代の終わりを見て没したことになります。
  ところが,この生没年は,今回の調査で信用できないことがわかりました。   つぎのようなことがあったようです。    突然よそ者が現れて,    谷軒の人々が神とも崇めるたんのきばあさんのことを尋ねられました。    谷軒の人々は,わざと違う墓を指さして,    「あれがそうだ」    と答えたのでした。    その墓に刻まれていた年代から    たんのきばあさんの生没年を推定したため,    「宝暦年間」という説が広まったものであり    実際は,もっと古かったようです。
【こぼれ話】   明治時代に,   近隣の人々が集められ,   「税金」という聞き慣れないものを払えと命じられました。    「あの山は,誰のものだ」   と聞かれたので,   その場に来なかった者に押しつけて帰ってきたそうです。   お山は,みんなのものでした。   そのお山には谷軒の人々が住んでいて,   不思議な霊験や薬草で里の者たちを守ってくれています。   川の水源に住む彼らは,豊作の祈りを捧げてくれます。   とりわけ,お牧山の頂上には,柳川のお殿様が立てた馬頭観音が祀られています。   そんなお山を「誰のもの?」と聞かれても答えようがなかったようです。
たんのきばあさんに関して,以下のように記述されています。 ■『柳川藩誌』   往事容貌夜叉の如き老婆山奥に住す。   一喝すれば児童畏怖して泣き声を止む。   老婆,現時千里眼の如く 未だ見聞せざる事物を判断し,   或は気合術に神変を顕はし,   雀の枝折りをなす如きことありとの奇談,   今尚同所に残るのみならず,   其名遠近に聞ゆ  この記事は,こんな意味です。   むかし,夜叉(やしゃ)のようにこわい老婆が   山奥に住んでいました。   その大きくて恐ろしい声で一喝されると,   泣いていた子供が泣きやむほどでした。   この老婆が遠くを見るときは千里眼のようにすべてを見抜き,   まだ見たことも聞いたこともない物について正しく判断しました。   ときには,気合い術で神にも通じる奇跡を起こしたこともあります。   それは,次のような不思議な出来事でした。   柳川の殿様の前で,   枝に止まっていた雀に気合いをかけると,   あらあら不思議,   雀は凍りついたように動かなくなり,   老婆は,雀の止まった枝を折って   殿様に献上したではありませんか!   そして,老婆が再び気合いをかけると,   雀は何事もなかったように飛び去っていきました。   この話は,谷軒だけではなく,   柳川藩でも有名な話です。  『柳川藩誌』によって描かれる「谷軒ばあさん」の姿は,  母神信仰とも結びついた山姥伝承と考えられます。
現在,次のような話が谷軒には伝えられています。 ・色が白く,夜叉のような姿であった。 ・木から木へ,枝から枝へと飛び移り,猿も顔色なしとの言い伝えがある。  (現在でも,谷軒には木登りが実に巧みなお年寄りがいる!) ・たんのきばあさんが掌に祈り出したとされる水晶の数珠が,加藤家本家に現存。  この数珠には安易に触れてはならないという掟があるため,  小さな駕籠の中に大切にしまってある。 ・数珠は,たんのきばあさんが仏様の前で三七,二十一日間お経を唱えながら  一心不乱に行を続け,満願の日に合掌していた掌を解くと中に包み込まれていた。  数珠は,母玉1個と小玉93個,長さは18cmである。 ・腹痛の時に数珠の紐を少しずつ切っては飲んでいたため,  現在は新しい紐になっている。 ・数珠の紐は,腹痛の時の特効薬として切り取られ,ついになくなってしまった。  現在は新しい紐が通されている。 ・谷軒ばあさんが「カーッ」と一声出して睨むと,赤子でも目を丸くして泣きやんだ。 ・子供が泣くのをやめさせるときは,左から右へ,右から下へと十字を切り,  「エイッ」と気合いをかけた。  十字を切るのは,現世の因縁を切るためであった。 ・谷軒の住人が珍品を見て驚いて帰ると,  何と何でできていて,どのような形をしていて,使い方はこうだと,  何事についても詳しく説明できるほどに物知りであった。 ・山の下の原町などで悪いことをした人が,ときどき山に逃げ込んだ。  そんなときには,じっと目をつぶり    「今,どの山のどこそこにいる。    足止めの術をかけたので逃げることはできない。    早く捕まえに行け」  と命じ,一度も間違えたことがなかった。 ・明日の天気を言い当てた。 ・その年の豊作と凶作とを言い当てた。 ・柳川の殿様が,山にウサギ狩りに来た。  近郊で評判の老婆なので呼び寄せられ,   「何か面白いものはないか?」  と尋ねられた。  谷軒ばあさんが瞑目していると一羽の雀がパタパタと飛んできて,近くの木にとまった。  谷軒ばあさんがツカツカとその木に近寄って,  雀がとまったままの枝を折って殿様に献上した。  殿様がしばらく見つめていると,  雀は何事もなかったかのように,ふたたびパタパタと飛び去っていった。  谷軒ばあさんの気合術は,まさに神技との評判を得た。 ・三峰の岡神官の先祖に,谷軒ばあさんから病気の治療法・薬草・祈祷術を学んだ人がいた。  治らない人がいると,   「谷軒ばあさんのところへ行け」  と言っていた由。今でも岡神官によって,この話が伝えられている。 ・谷軒ばあさんを捕まえに,何度も役人が登ってきた。  そんなときは事前に察知し,   「今日は藩より捕手が来るので,山で遊んでくるぞ」  と言い残して山奥に消えていった。  役人が来て,   「今日も谷軒ばあはいないか。待っとこうか」  と一日待って,夕方になると   「道がわからんごつなるぞ」  と帰っていくと,薪をたくさん背負った谷軒ばあさんが,  ヨイショヨイショと言いながら山の上から降りてきた。 ・酒を飲むと   「ひとつ芸を見するか!」  とサッと飛び上がり,  さながら大きな蜘蛛のように天井に張り付いて下の皆を見下ろした。 ・歯痛の時は,  「南無大師遍照金剛」と三度唱えて,  患者の口の中に三度息を吹き込む。 ・足に瘡ができたら,足形をとって,それに灸をすると良くなる。 ・谷軒ばあさんが治療に使った薬草をまだ持っている人がいる(現在,調査中)。 ・谷軒ばあさんが臨終の時,皆を集めて   「遺言がある。昔から金の茶釜を隠している。それは,うめー」  と言ったところで息を引き取った。  皆は,梅の木の下やら山のあちこちを掘ったが,金の茶釜を探し出した者はいない。  しかし,それから数年は,梅やその他の作物も良くできたそうだ。
特徴  木々の間を猿のように飛びまわる。  未来(豊作と凶作)を予知する。  真言を唱える。  薬草を使って病人を治したりする。  悪人を退治する。  役人がどれだけ追いかけても捕まえることができない。    殿様の前で秘術を披露する。  百歳を越える長寿を全うした。  黄金伝説。  豊富な霊験譚に彩られた伝承の数々は,  山姥(母神)伝承のモティーフを基盤に成立している。  谷軒ばあさんの伝承が山姥伝承を下敷きにしていると考えれば,  <役人から追われて逃げた>というプロットも理解できる。  加藤信一郎自身の経験  ・幼い頃に「賽の河原地蔵和讃」を聞いて育った。  ・「やんぼしさん(山法師)」をはじめとする様々な祈祷師が    山の道を伝って訪れた。  ・やんぼしさんは,「南無大師遍照金剛」と真言を唱えていた。  注:三加和町の山奥に位置する集落に   「やんぼしさん」の登場する伝承が残っている。    筑後・肥後をめぐる「山の道のネットワーク」があった。    そのことは,婚姻関係の広がりによっても確認できる。 【こぼれ話−嫁取り−】  里に住む者から見れば,谷軒は想像を絶する暮らしぶりであったため,  とりわけ嫁取りには苦労したようです。  谷軒には,嫁取りにまつわる逸話がたくさんあります。 ・「家の前に川があり,炊事洗濯に便利だ」と言われて嫁に来たが,   その川は谷底の「井川」のことだった。 ・「集落で一番土地を持っている」と言われて嫁に来たが,   谷間に数軒の家があるばかり。   しかも焼き畑だった! ・結婚式の途中で花嫁の顔を見たら,お見合いの時の女性とは違っていた。  「相手が違う」と騒いだが,仲人が「この花嫁さんだ」と言い張ったため,   そのまま結婚した。  (この夫婦は,それから50年今でも平和で幸せな生活を過ごしています。) ・「なんでこんなところに嫁へやった」と父母の住む里の方を見ては泣いた。 【こぼれ話−嫁に来て苦労した話−】 ・風呂は谷底の五右衛門風呂で,しかも男女共有。  恥ずかしくて入ることもできず,すごすごと帰ってきた。  途中,真っ暗な道であったため穴に落ちた。  あまりのことに,涙が止まらなかった。  おばちゃんが通りかかって,驚いた様子で  「どぎゃんしたと?」  と聞かれて,ますます悲しくなった。 ・嫁に来たら,夜,茅葺き屋根の破れ目から星が見えるので驚いた。 ・台風が来て,風でろうそくが倒れて火事になった。水は谷底にしかない。  生きた心地がしなかった。  谷軒では,嫁に関する話には,陰惨な影がありません。  谷軒では,土間の左側に茶の間があると「左ごんぜん」と言い, 昔から「左ごんぜんはカカア天下になる」といわれてきました。  新谷軒に家を新しく建てた加藤家は,わざわざ「右ごんぜん」にしたそうです。  この逸話は,谷軒において「左ごんぜん」が一般的であったことを物語っています。  それは女性の発言力が高かったことを意味しています。  ごく少数の家によって成り立っている原始共同体において,  生命力に勝る女性が「母」として優位に立っていたことは容易に想像できます。
谷軒の秘薬[御山トーキ] この秘薬は,中国にもないもので,山川では「御山トーキ」と呼ばれています。 現在,山川町佐野区の松尾尚三氏が保有しています。 糖尿病・肝臓病・婦人病などに効能があるとのことです。 現在,御山トーキを見つけたという報告は入っていません。

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